言葉とは
なんだか気の多いボクは、いちいち継続出来ないようで・・・。笑
久しぶりの投稿です。
生まれてこのかた、言葉に救われるという経験は然程多くなかったように思う。
もちろん言葉を軽視していたということではないけれど、特別期待もしていなかったというのが本音。
それでも、それなりに歳ばかり取ると言葉というものの重要性に、はたと気づく瞬間は否応なしにやってくる。
ボクは言葉で自分の思考や感情を伝えることに長けていない。だからなのか、他者の言葉もなかなか簡単に自分に伝わるものではない、というように捉えている節がある。(だからこそ、しっかり考えるんですけど)
しかし「本当の言葉」に出会う時、胸の奥がクワーッと熱くなって、熱情が跳ね上がるような感覚がある。なぜなら、それこそが「本当の言葉」だから。
言葉は、時に人を救い、時に深く傷つける。ただ言葉自体を重要視しすぎると、その奴隷になり、身動きが取れなくなることもある。本当に伝えたいことが、言葉という曖昧なツールの所為で伝わらないことがある。
言葉に限らず、曖昧さ、は重要だと思う。余白が必要。曖昧さが人の思考や感情を自由にする。
人が考えることや感じることは、言葉だけで言い表せることが出来ないほどに、自由でもあるからだ。
度々、小沢健二さんのネタですが(笑)、
「神様を信じる強さを僕に 生きることを諦めてしまわないように(「天使たちのシーン」より)」
この詩の素晴らしさは、その曖昧さにあると思っている。
みんな神様を信じよう!なんてことは言っていないと思っている。何かよくわかんないけれど、自分を超える「大きなものの存在」を「信じ続けられる強さを僕にください」と、また別の「何か」にお祈りしている状況。その何かよくわかんない存在を「信じられる在り方」こそが人を強くするんだ、と。それこそが生きることを諦めないで済ませられるということ。生きることを諦めないについても、実際の人の生死というよりも「死んだように生きないぞ!」の方がボクにとっては、しっくりくる。
んじゃ、「死んだように生きない」ってなんなのか?
これは簡単、自分の人生を素直に正直に生きるということ。本当のパワーって、そこにしか生まれないから。
他者に何を言われようとも笑われても、自分の目の前の人生を、感じて・考えて・行動して、生き抜いてやる!ということ。なかなか結果が出なくても、自分を信じて、行動と学びを積み重ねること。失敗から学び続けること。自分の興味・学習・行動・経験の「集合体」こそが、その人のオリジナルだから。
曲や歌詞というのは、その観念のようなものがリスナーにちゃんと伝わってこそ、名曲になりうるのかもしれませんね。だからこそ、言葉は大切だな、と。
ぶっちゃけ、この世の中に何一つ意味なんてないと思う。それなのに、ボクらは意味に縛られて生きている。おそらく人間は意味がないと不安で生きていけないから。自由を求めてるくせに、どんどん不自由になるのと一緒。
本当は意味なんてない、と気づいた時、腑に落ちた時、自由な思考や感情は、自分オリジナルの意味を見いだし、自分の役割や覚悟を徐々に理解していくのかなぁと。
人生って、不思議ですよね。人生って、いつでも変わるんだと思うんですよ。
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